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終戦記念日

お断り。
 「日本へのラブレター」ですから、意見を異にされる方もあるとおもいます。アメリカで考えたこと、感じたことをもとに書いています。特定個人や国を批判する意図は、まったくありませんし、読んで下さる方々の気持ちや考え方を批判するものでもありません。
 アメリカに来て17年を過ぎ、自分のアイデンティティを考えたとき、生まれ育った国にたいして「私の大好きな日本」という気持ちをもっている、ということに気がつきました。「I am proud to be an American アメリカ人であることを誇りに思う」と堂々といってのける彼らの感じ方がわかった今だから書ける、日本へのラブレターです。
 
 
                  

8月15日は、終戦記念日だった。で、全国紙の USA TODAY の記事の見出しは。。。

「Japan recalls 65th anniversary of End of World War II 日本で65回目の終戦記念日」

 65回目の終戦記念日、閣僚が一人も靖国神社へ参拝しなかったことを知った。

 広島と長崎に原爆が落ちて、一瞬のうちに多くの非戦闘員(一般市民)が亡くなられた。パールハーバーのかたきをうった、とアメリカ人は言う。
 確かに「開戦の宣言」をしなかったのは、政府として手落ちどころの騒ぎではないのだが、それでも少なくともパールハーバーは、「軍港」であった。日本は、軍備施設を攻撃したのである。

 オットの義父(母親の再婚相手)は、原爆をつくる工場で働いていた。テネシー州オークリッジに原爆の工場地として白羽の矢がたったとき、何もない山あいの土地だった。せいぜい、草を食む牛がいるようなのどかな土地である。軍需工場が出来ると決まって、多くの人たちが移住してきた。

 数ヶ月のうちに町の周りは鉄条網でかこわれ、駅の線路沿いも金網で囲われる。町に通じる一般道の町の入り口には、分厚いコンクリートの要塞が作られ、マシンガンの銃口がのぞく窓がある。この要塞、現在もいくつか残っている。
 町の出入りは、ゲートで身分証明書を提示しなければならなかった。列車で到着すると、憲兵(軍の警察。一般の警察とは異なる)が身分証明をチェックする。町の住人あるいは事前に申請が出ている者でなければ、すぐには駅から出してもらえない、という町であった。


 工場で働いている人たちは自分たちが何を作っていたのか、知らなかったらしい。最終的な形は「爆弾」であるが、それが「原爆」であることは知らなかった、というのである。


 2年程前、このオークリッジの町の様子を撮影したDVDをみた。子どもたちは普通の学校に通い、町の原っぱや川原で遊んでいる、どこにでもある風景である。
工場ではベルトコンベヤーで組み立て作業があったり、あるいは内容不明の「クレート(大きな木箱)」がトラクターで運ばれたりしている、一般の工場と大差ない。いったいプルトニウムはどんな状態で保管されたのだ?とこちらが心配になる程である。

 そして、広島に原爆が落とされた日のニュースは、オークリッジでは大変なお祭り騒ぎとなったのである。

「わが町で作られた爆弾で、日本が壊滅状態になった!」

 ほとんどの人がバーに繰り出し、独立記念日とLabor Day(労働者の日。夏の最初の祝日と、最期の祝日)が一緒にきたような、それは大騒ぎである。どの人の顔も喜びに輝いていて、まるでヤンキーズの優勝パレード楽しむような嬉しさでいっぱいだった。

 
 オットと私は、日本に住んでいた頃に広島を訪れたことがある。原爆記念館を一巡した後のオットの一言;

「広島の人たちがアメリカ人に本当に親切にしてくれるのは、ボクの理解を超えている」


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Comment

編集
戦争に対する思いは、ほんとに人・国によって様々ですよね。
先日お盆休みで帰省したときに、私の母が話してくれた終戦の頃の話。
長崎に原爆が投下されたときに、私の母は九州の佐賀県の田舎にいました。
そこで長崎原爆の「きのこ雲」を見たそうです。
ラジオも何にもない時代。家族で「あれは何だろう」と話していたとのこと。
当時、母はとても小さかったのですが、それだけは一生忘れらないと話してました。
この話を隣で聞いてたダンナも、彼のおじいちゃんも昔軍人として戦争を体験
した話を聞いていたので、「とても複雑な気持ち」と言っていました。
私も海外留学・国際結婚を経験して、日本・そして日本人について、
改めていろいろ考えるようになりました。
2010年08月17日(Tue) 19:51
編集
確かに戦争に対する考え方・解釈の仕方ってその国それぞれですよね。
教育にもよるだろうけど、でもやっぱり日本人って敗戦国だけど
寛容だなって思います。(平和ボケ?それとも特殊民族なのか??)

このブログで当時のアメリカ側(特に原爆工場とその町)の様子
を知り、想像通りだけど少し複雑。。。

戦争…世界中の人々がどんなに努力したとしても この世から絶対に
なくならないでしょうね。




2010年08月18日(Wed) 09:38
複雑です
編集
わたしも、主人と一緒に広島を訪れたことがあります。
アメリカ人の彼がどう思うのかを知りたくて、
原爆ドームや資料館へ連れて行ったのですが・・・。

やはり「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった」という
意見は、変わらなかったようです。
ただ、どれだけの被害があったのかを実際に知り、
その悲惨さには胸を痛め、言葉を失っていました。

現在は友好な関係を築いている(?)日本とアメリカ、そして
主人はアメリカ人ですが、戦争・原爆について考える時、
やはり複雑な気持ちになってしまいます。

もっとも、複雑な気持ちになってしまうのは日本人である
わたしだけのようですが・・・。
2010年08月18日(Wed) 17:15
TCさんへ
編集
> この話を隣で聞いてたダンナも、彼のおじいちゃんも昔軍人として戦争を体験
> した話を聞いていたので、「とても複雑な気持ち」と言っていました。

↑ ご主人のおじいちゃまとなると、第一次世界大戦でしょうか。ヨーロッパは、外交のプロだしそれこそ歴史的に数々の戦争を経験しているので、そういう視点からの太平洋戦争論も聞いてみたいと思いました。

> 私も海外留学・国際結婚を経験して、日本・そして日本人について、
> 改めていろいろ考えるようになりました。

↑ 歴史について公平な立場でものを言うのは難しいですね。事実とそれにともなう人間の欲望や感情を抜きにしては、語れないのも戦争ですよね。
人間は、どうしても戦争をやめられないのでしょうか。最初の湾岸戦争は、確かに経済効果があったし、多分それを狙ったのだと私は思うけれど。。。今回はもうなんのための戦争かもわからなくなっているのではないかと思うのです。


2010年08月18日(Wed) 18:49
ものぐさ姫さんへ
編集
沢山の犠牲の上に成り立つ生活のありがたさって、忘れちゃうのでしょうか。

日本人が寛容なのは、仏教や神道が暮らしの中にあるからなんじゃないか、と思うのです。
人を赦すより、あるがままを受け入れる寛容さ。天国に行くことを願って教会に行くより、輪廻の思想をもって生活をする謙虚さ。

いろいろなことが、日本人を作り上げてきた訳ですが...これから、日本はどこへ行くのでしょうね。
2010年08月18日(Wed) 18:54
mayさんへ
編集
> やはり「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった」という
> 意見は、変わらなかったようです。
> ただ、どれだけの被害があったのかを実際に知り、
> その悲惨さには胸を痛め、言葉を失っていました。

↑ 私は、アメリカはドイツに原爆を落とすことはしなかったが(もし、ドイツ降伏の前に原爆ができていても、落とさなかったと思う)日本に落とすことに、ためらいはなかっただろう、と思っています。

そして、アメリカは原爆を落とさなければならなかった、とも思っています。

ただ、その悲惨さを「本当に知っていた人」は、開発者にも政府関係者にもいなかった、と信じたいですね。
2010年08月18日(Wed) 18:58
編集
アメリカに来て 何も知らない自分に
何度もがっかりしました。日本の歴史などもその1つです。
日本をoutsideから見て考えることも昔より多くなったかなぁ。。
いつもお邪魔してる「オレゴンでエイリアン」のpontaさんのところで
アメリカ軍人だった父が 戦争のときに取った 原爆後の日本を
写真で公開しているサイトが出てました。彼は、アメリカ人でありながら、原爆の恐ろしさ 悲惨さを伝えようとしていたそうですが、
アメリカ人からは、非難され、結局死ぬまで、保管していたそうです。で息子さんの手によって公開されたようです。
戦争 なくなることはないのでしょうか。。。。
いろいろ考えたとってもいい記事でしたぁ

2010年08月19日(Thu) 00:14
yummyさんへ
編集
とてもいいコメントをありがとうございました。

アメリカに来たから、日本のことが大好きになり、(ちょっとヘン?と思うこともありますが、ね)日本のことをもっと知りたいと思うようにもなりました。

歴史も、世界史や日本史をいろいろな角度からみるようになったと思います。歴史は、文化と生活習慣や宗教がぜーんぶ一緒になって、とても奥が深いなあ、と感じることしきりなんですけどね。

時々、日本へのラブレターをかいてみようかな、と思い始めているんです。
さっそく、pontaさんのところも拝見してみます。ありがとう!
2010年08月20日(Fri) 10:51












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プロフィール

Kay Buckley

Author:Kay Buckley
 名古屋生まれの名古屋育ちが、東京で働く間にオットに出会い、アメリカ南東部の街で数年。2002年から東部屈指のリゾート地での暮らしがはじまりました。

 補習校教師、通訳、情報誌編集長などを経て、さて次はなにをしようかな?
ワン子との暮らしや、リゾート暮らし、旅行や食べ物の話を載せています。

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